詩のある宿 -静台荘- について

はじまり

2011年3月11日、あの日の地震で被災するまで、静台荘は地域に永く愛されてきた宿でした。

この場所に私たちが出会ったのは、事業の拡大を経て、ふと、自分たちの足元を見つめ始めた頃でした。

それまでの私たちはあまりにも大きなものを抱え、その志を前に見過ごしてきた違和感や歪みが亀裂から溢れ「本来に還りたい」という想いが強くなっていたのです。

「海と山と畑のある場所で暮らしたい。」
「小さな子どもたちと暮らしを真ん中に生きていたい。」

そんなふうに事業を営むことから暮らしを営むことへ、自分たちの季節が変わる予感を感じ始めた頃、市役所の方から1本の電話をいただきました。

「東日本大震災で被災して以来、廃業となった宿をもう一度、地域に開きたい。だけどすでに高齢の自分たちにはそのエネルギーが残っていない。そんなところからオーナーご家族が次世代へ託す選択をしようとされています。」

電話口で宿の名前を聞いた瞬間、あぁ、私たちはきっと、ここで暮らすことになるのだな、と予感しました。
「静かという字に土台の台と書いて静台荘という宿です。」

私の名前も同じく「しづか」です。「本来に還りたい」と願っていた矢先に出会った自分の名前が土台となった場所。この宿との出会いが私たち夫婦の生き方を大きく変えてくれたのです。

破壊と再生、光と影

大きな変容の前には必ず破壊が訪れます。
宿のリノベーションをしながら私たち夫婦に訪れた地殻変動は、それまで積み上げてきたものが壊れに壊れ、本来に還るための大切なプロセスとなりました。

もとよりそれは、「本来に還りたい」と思っていた私たちにちょうどぴったりのタイミングだったと思うのですが、拡大した6つの施設のうち4つの施設を手放すことになり、そこに炙り出された自らの光と影。静台荘は、その両方を私たち自身が受容してゆくことのはじまりとなったのです。

人は、自分の放つ光を、どれだけその光のまま受容できるのでしょう。
自分の抱える影を、どれだけその影のまま受容できるのでしょう。

きっと、そのどちらも欠くことなくそのまま自己受容してゆくということが、まん丸な世界の入り口なのだと思っています。

そしてそこには、愛が必要なのではないかと思うのです。

受容してゆくのは自分自身でしかないのだけれど。
誰かが抱きしめてくれること、誰かが見守っていてくれること、そんな願いを誰かに受け入れてもらいながら、人はようやく安心して自分を受け入れてゆけるのだと思うのです。

詩のある宿として

目の前の海の水面に、あなたにはどんな詩が見えるでしょうか。

時を繋ぎ、目に見えないものを繋ぎ、それぞれのなかにある光と影の両極を繋いでまん丸な世界の入り口となるように。
この場所で静かに、水面に映る詩を紡ぎ続けたいと思います。

詩のある宿 -静台荘-
佐々木しづか